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*写真-1
【染付吹墨兎紋
(そめつけ ふきずみ うさぎもん)】1630〜1640年代
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まず最初に、白味の多いウサギを描いた皿(写真1)から始めましょう。ご存知の方も多いと思いますが、有田は日本で最初に、磁器という白いやきものが焼かれた土地です。それ以前、日本では陶器と呼ばれる、生地に色があるやきものしかありませんでした。
有田で初めて磁器が焼かれるようになりましたのは、豊臣秀吉が朝鮮半島に進攻した文禄慶長の役のことです。その際に九州の武将がまっ先に戦場に行って戦い、帰ってくる時にたくさんの技術者を連れてきました。
当時、有田は鍋島藩に属していました。その鍋島の殿様が連れて帰った陶工の中に、李三平(り さんぺい)という陶工がいたのです。彼が有田の泉山で磁器の原料になる石を発見(1616年)し、それから有田で磁器の生産が始まりました。
ただし、当時の日本の磁器は全て中国からの輸入で賄っていました。有田で朝鮮風の磁器ができましても、市場としては、中国風の磁器をほしがっていたのです。朝鮮風は、当時のお客さまのニーズに合わないものですから、有田で磁器の生産が始まった早い時期に、中国風のやきものがつくられています。
この皿の技法は吹墨(ふきずみ)と呼びます。ウサギを描くのに、呉須(ごす)をスプレー状の点描で浮き上がらせていますが、これこそ中国の技法を早期に取り入れてつくられた証しです。
ただし、生地(きじ)や形には、朝鮮の影響が残る珍しい皿なのです。どこが?それは、高台(こうだい)と申しまして、皿の裏側の部分にその秘密が隠されています。皿の場合ですと普通、直径の3分の2ぐらいの高台がつくのが普通ですが、初期の伊万里は、朝鮮の影響で高台がとても小さくて、直径の3分の1ぐらいしかありません。それが初期伊万里と呼ばれる、有田の創世記に近い磁器の特徴で、この皿は、特に優れた伝世品のひとつです。 |
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