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*写真2
染錦花唐草山水見込文
(そめにしき はなからくさ
さんすいみこみもん)
(1640〜1650年代)
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磁器づくりが有田で始まったばかりの頃(1610年代)は、染付けと呼ぶ、藍一色の表現しかできませんでした。朝鮮からきた陶工たちには、赤やグリーンを作る技術がなかったからです。
朝鮮から、そのまま有田に来ているわけですから当然、有田では染付しかできません。そこに大きな変革が起きます。
1640年代になって、中国から直接、有田に上絵と呼ばれる多彩色をつける技術が入ってきたのです。これまでの染付という単色の世界に、多彩色の表現が出来るようになり、磁器はものすごく表現が広がります。いろいろ彩色ができるようになってきて、製品としての付加価値も一気に高まりました。
2番目の皿が(写真2)有田で色絵が始まった1640年代という、最も初期につくられた皿です。
この時代のものはこれまで、全部九谷焼というジャンル分けをされ、石川県の九谷村で作られたのではないかと言われてきました。
しかし、近年、有田でも盛んに調査が行われ、古い窯跡からは、たくさんの古九谷様式の磁器が出土しました。現在では、学会でも古九谷は有田産であることに意見が定着しています。 |
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