|
|
*写真-3 |
|
*写真-4 |
|
|
*写真-3
寛文文様
染錦東屋桐文 皿
(そめにしき あづまやきりもん さら)1660〜1670年代
*写真-4
延宝様式
染付鮎文 皿
(そめつけ あゆもん さら)
1670〜1680年代
写真をクリックすると大きな画像と
詳細説明がご覧になれます。 |
|
|
|
*写真-5 |
|
*写真-6 |
|
|
*写真-5
元禄様式
染錦松文 皿
(そめにしき まつもん さら)
1690〜1720年代
*写真-6
紅毛伊万里
染付西洋風景図 皿
(そめつけせいようふうけいず さら)1680〜1700年代
写真をクリックすると大きな画像と
詳細説明がご覧になれます。 |
|
|
|
1650年代までは中国の文様を意識した磁器が多くつくられました。それが1660年頃になると文様が和風化されていきます。
中国一辺倒だったのが、日本人の感性でデザインするようになり、完全に和風の品が多くつくられるようになっていきます。なおかつ技術もあがって、現在にも通用する磁器が作られるようになるのです。それが1670年代です。(写真-3)
ただし、有田の中で全部が同じレベルであったかというと、そうではありません。
いい窯とそうではない窯とが、きれいに分かれています。古い窯の発掘跡の陶片を見てみますと、上手・下手がはっきりわかります。(写真-4)
1650〜1660年代にかけて技術が発展してきまして、有田が燗熱期を迎えるのが江戸の中頃なのです。有田だけに限らず日本全体がそうでしたが、元禄文化・町民文化が花開き、それが反映して絢爛豪華なやきものが盛んに作られるようになります。(写真-5)
中には、モチーフ(対象)が西洋の風景画をやきものに写した、非常に変わったデザインの磁器もあります。この皿(写真6)は、恐らく原画がオランダから来ていた銅板画で、その絵を元にしたのではないかといわれています。
|
|
|
|