■NO-06 ■NO-07 |
インドネシアの 金属製ケンディ
| | 有田の磁製ケンディ (乳首瓶) |
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古伊万里資料館1階の右手に、ケンディと呼ばれる珍しい形の瓶が展示されています。
これは、インドネシアなどで、イスラム教の儀礼用や、日常の水入れとして使われた器です。金属製と磁器製の2つを並べてみると、17世紀から18世紀の、海を越えた異文化交流の熱気を感じとることができそうです。
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■NO-08 |
古伊万里をコピーした 赤絵花篭手図(AKAE-HANAKAGOTE-ZU)
中皿(フランス製)、碗皿(イギリス製)
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ところで、中国・明の影響が色濃い「色絵伊万里」は、はじめのうちは素地の白さや染付けのブルーを生かした素朴な表情をしていました。
しかし、江戸も中期を迎え、ヨーロッパ各国との交易が盛んになるにつれ、金色や赤絵をふんだんに使った、まさに豪華絢爛な磁器へと変身していきます。
当時ヨーロッパの美術界は後期バロックからロココにかけての時代で、王侯・貴族たちが有田の陶工に要望する磁器のデザインにも、その頃の美意識が映し出されているようです。
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■NO-09 |
江戸の風俗と今に伝える 古伊万里 (KOIMARI)人形 (1660〜1700)
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そして、18世紀も半ばになると、オランダ・東インド会社による古伊万里の輸出は急激に減少します。
その理由は、清朝による中国磁器の輸出が再開したこと。またマイセン(ドイツ)やデルフト(オランダ)、ウースター(イギリス)など、ヨーロッパ各地の窯で、古伊万里を模した磁器が焼かれるようになったからです。
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■NO-10 |
海を渡った色絵伊万里(IROE-IMARI)の数々が、
今は「古伊万里資料館」に里帰りしています。
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現代と比べて輸送ひとつをとってみても、風だけが頼りだった時代に、世界の人々のあこがれや欲求をかき立てた古伊万里の美。
資料館にならぶ磁器は何も語りませんが、その前に立ち、静かに思いを巡らせると、200年余の歳月を超えて、はるか昔のドラマがよみがえってくる気がします。
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