料理をつくる方と器をつくる方の橋渡し役として、初めは洋食器からスタートした私が、和の世界に興味を持ち始めた頃、先代の源右衛門さんとお逢いし、何度もコーディネート冥利に尽きる仕事をご一緒させて頂きました。
とても新しい、日本の食卓のコーディネートを通してたくさんの器を拝見しましたが、媚びている器はすぐわかるような気がします。サイズや色づかい、形などどこか強要する部分があるのですね。
ところが源右衛門窯の器には確かに主張はありますが「ここから先はお前に任せるよ」という見えない境目があります。だからでしょうか。器を見たとたん、何の料理にしたらいいかなというシーンが、パッと頭に思い浮かびます。
考えてみますと、窯の器は、和だけにこだわらず洋にかたよらず、゛食″全体を見越してつくられていることが根底にあるからではないでしょうか。ですから私はコーディネートしやすいし、本心から楽しい。もちろん、任せられるからには、器のつくり手に対する責任があります。源右衛門窯の器にはそうした気迫を凄く感じますね。
私自身の普段使いの器、特に朝ごはんの飯碗や取皿は元気のでる器です。お客さまをおもてなしする器は、もてなす側の粋とか色気とか、洒落さや遊び心の出せる器が最高。そして、食べ終わった後で余韻を語ってくれる器がいいですね。
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